2017年11月19日日曜日

野球選手のドーピングは正当化されるか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>




<きっかけ>

スポーツ選手のドーピングの是非について過去の英検1級2次試験で問われていたようなので、日本のプロ野球選手の場合に鍵って考えてみました。




<日本語で考えたこと>

ドーピング推進派の喜代原(きよはら)さんと、ドーピング反対派の鍬田(くわた)さんの会話形式でお送りします。




喜代原 「プロ野球の試合は、ショーや。ショーであれば、たくさんホームランを打つ選手がいたり、すごい速い球を投げるピッチャーがいたほうが面白いだろう。そのためには、ドーピングをしても問題ないんや」

鍬田 「んーどうでしょう。ショーであっても、すごいプレーの背後に隠れた努力に、人は感動するんじゃないかな。結果は大事、でもプロセスはもっと大事だと思う」

喜代原 「程度の差はあるけど、プロの選手は、試合前には市販のサプリをとったり、酸素カプセルを使ってる。ワシも風邪薬はようやった。また、お金のある球団であれば、食事のトレーナーの支援も受けられるし、キャンプ地の施設も球団の格によって異なってくる。いい球団なら暖かくて広いベッドで寝れるわけや。ドーピングだけが何で問題なんや? 誰にも迷惑かけているわけでもないし」

鍬田 「いったんドーピングを認めたら、練習よりもドーピング次第ですごいプレーができるようになるからじゃないかな。あと、これからプロを目指す人が、ドーピングありきで練習をするようになるから、アマチュアとか青少年に身体的に悪い影響がでるからでしょう」

喜代原 「むむむ。だけど、プロレスにしても、そういう悪役がいたほうがショーは盛り上がるんだけどなあ」

鍬田 「ショーってことは、物語だよね。物語は、人々の間で長い期間に渡って伝播されることに価値があるのじゃないかな。でも、そういった物語が、子供の成長に悪影響だったり、多くの人が読んだり聞いた後に楽しい気持ちにならないのであれば、ショーとしても失敗なんじゃないかな」

喜代原 「(肩を震わせながら)ぐ・・・」

鍬田 「俺たちが甲子園を沸かせたことを思い出してみよう。どうしてあんなに観客を感動させることができたのだろう。たぶん、1回でも負けたらそこでおしまいという状況で、青春を懸けて練習した成果をみんながぶつけ合ったからなんじゃないかな。そのはかなさと切なさに、共感があったからじゃないかな」

喜代原 「・・・うわーん(号泣)」


鍬田、喜代原、抱き合って泣く。




<英語の構成>

結論 :プロ野球選手のドーピングは禁じられるべきである
理由①:ドーピングが普通になり、ドーピングしないと勝てなくなってしまう
理由②:プロ野球選手の努力の過程を想像して観客は感動する
結論 :ドーピングは許可されるべきものではない



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
     Although some people argue that there is no serious problem with doping for professional baseball players in Japan, I contend that doping shall strongly be banned on them for two reasons.

     First of all, professional baseball players in Japan have a huge impact on amateur baseball players in both direct and indirect ways. For instance, once the order to call strike and ball was changed in an opposite way in Nippon Professional Baseball several years ago, all the amateur baseball teams followed its rule. I am sure that once professional baseball players rely on doping in order to produce high performance, other amateur players follow them. Rather, doping would be one of the essential factors to be successful in baseball. As a result, baseball would not be a sport any more, but a place to demonstrate how effective new dope is.

     Second, professional baseball players in Japan have a responsibility to behave in a moral way. They are viewed as not only great athletes but also moral persons. You may wonder if the result is everything in professional baseball because it is a show. Even though professional baseball is a show, the spectators and audiences of baseball match put an importance on their process. They are impressed by how players have made efforts to be professionals. If the spectators and the audiences knew that professional baseball players dope, they would not be moved by its game more than they do.

     In conclusion, I think that doping shall not be allowed for professional baseball players in Japan. 



<その他>
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2017年11月11日土曜日

アメリカは唯一の超大国であり続けるか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>




<きっかけ>
英検1級2次試験の過去問を見ていて、一時期アメリカが一強であることの是非のようなテーマが繰り返し出題されていることに気が付きました。また、クレジットカードからITを扱う仕事をするようになっても、「アメリカって強いな」と思うことが多かったので、書いてみたいと思いました。



<日本語で考えたこと>
圧倒的に強いと思うのが、「アメリカが国を挙げてその気になれば、なんでもわかる」ということです。

以前は、クレジットカードの国際ブランドの4つのうち5つをアメリカが占めていることが強みでした。イシュアーであれば、ホテルや航空券の支払い履歴から、どこどこの社長がどこどこで誰と会っていたとかが分かり、会社どうしの提携などが予測できるという話を聞いたことがあります。

今はもっと細かく分かるはずです。Facebookのアカウントがあれば、ある人が誰が友達でどんな性格かもわかります。Googleアカウントを持っていれば、たとえ別の名前で登録していても、「文面の最初のほうに登場する共通の単語」という条件で探せば本名もわかっていると思います。iPhoneには指紋を登録してますし、気づかれないように画面を見ているあなたを録画しているかもしれません。Amazonは、あなたが何についてならお金を払ってまで手に入れたいのかを知っています。

「そんなSFみたいなことあるかいな」と思った方。ドイツのメルケル首相の電話は2010年から少なくとも3年間、盗聴されていたことがドイツの新聞で報じられていましたし、オバマ大統領も承認したとさえ言われています。日本においても、省庁や大手企業が盗聴対象に入っていたとウィキリークスで暴露されていました(→朝日新聞の記事)。表に出てこないだけで、その気になれば情報はいくらでも抜けるようになっているのです。

情報があれば、テロを未然に防いだり、政治・経済的な動向を事前に察知して裁定的な行動もとれるはずです。

別の側面を見てみましょう。アメリカ企業と聞いてまず思いつくのは、従業員の多様性です。アメリカ国籍であっても、もともとの祖先をたどると別々の国から来た人たちです。同じ言語を使っていても、生活習慣やビジネス習慣は異なるはずです。こういった異なる人たちを束ねるノウハウが、アメリカ企業には備わっているとごりらは思うのです。

インターネットによって世界のどこでも働けるようになったり、航空網の発達で移動時間がどんどん短縮している現状においては、多様な人材の本気を出させるリーダーシップに歴史のあるアメリカ企業に優位性があるのは、当然の成り行きではないでしょうか。

他方で、日本は少子高齢化の危機が叫ばれる中、あまり移民受け入れは進んでおらず、海外でも調達は日本の商社を使ったり、現地人をトップに据える意味でのローカライズできている会社もまだまだ少ないように見受けられます。中国は、国内をマーケットとする強い企業の名前は思いつきますが、世界を相手にしてトップが外国人になっているような企業はすぐには思いつきません。ドイツも、情報分野でグローバルな展開だと、SAPくらいしか思いつかないのは、私だけではないでしょう。

以上のように、アメリカはその気になれば重要な政治的・経済的イベントの兆し情報を収集できる立場にあることと、経済を発展させるために必要な多様な人材の潜在能力を活かす仕組みをもっていることが強みとなり、当面は超大国であり続けると考えます。



<英語の構成>
結論 :アメリカは超大国であり続ける
理由①:情報を持っているので強い
理由②:多様性のメンバーを組織するのが強い
結論 :好むと好まざるに関わらず、アメリカは超大国でいられるだろう。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>

   I contend that it is possible for the United States to secure its power as a superpower for two reasons.

   First of all, the United States knows more about flow of people, goods and money than other countries do. Credit card companies monitor the card transaction including a plenty of personal information. And now four international brands out of five are from the United States. In addition to credit card companies, the United States has several information technology firms enabling it to be competitive continuously. Google knows who you are, what your interest is and where you are. Facebook recognizes whom your friends are.  Amazon discerns what products you are willing to pay for. Apple remembers even your fingerprints. Once political tension breaks out, chances are that the country who has those information gains an edge. You may remember that German Chancellor Merkel’s phone was wiretapped from 2010 to 2013 by the United States.

   Secondly, the firms from the United States are good at talent management. Given that the collapse of country border because of Internet and the modern airline system, one of the important factors to be competitive in the global market is to assemble excellent talent in the world. In this sense, the United States has been welcoming immigrants who have specialties since its conception. However, I don’t come up with so many firms originated from Germany and China which are globally expanded with diversified officers. Now Japan is facing aging and declining population, but the problem is that many people in Japan assume that working population should be local people for some reasons. The United States, however, has accumulated knowledge to maximize the outcome with diversified members.

   In conclusion, whether we like it or not, the United States keeps its superpower status for at least more than twenty years.



<その他>
・という現状を踏まえて、日本はどうやって世界でのプレゼンスを高めていくのか、あるいは外資で働く日本人はどんな面でバリューを出すことができるのか、ということを今考えていて、またスピーチの原稿を書いてみたいと思っています。

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2017年11月5日日曜日

動物園は廃止すべきか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>




<きっかけ>

動物園に最近行こうか行かないか迷っており、その際に動物園を廃止すべきという意見があることを知りました。



<日本語で考えたこと>

まず初めに、動物園を廃止すべきでない理由を2つ考えました。次に、動物園を廃止する主張の根拠を考え、その根拠が成り立たないことを盛り込めそうであれば盛り込みました。


動物園の(見る側にとって)よいところは、短時間で珍しい沢山の動物を見ることができる点です。一方で、その裏返しですが、短時間で沢山の動物を見ることができるということは、動物同士が狭いところでひしめき合っていることが示唆されます。この点に着目して、「動物がかわいそう」という意見があるのだと思います。


しかし一方で、人は見たことのない動物に対しては愛着がわかず、もしその動物が密猟などで減少の危機にあると言われても、支援する可能性は低くなるのではないかと思います。見る機会がなければ、興味を持つ機会も持てず、行動に繋がる可能性も減る、というのがごりらの(私の)意見です。


動物園によっては、経済的な事情から動物に対して十分なケアをできないところもあると聞きます。その場合、今の時代であれば、オンラインでクラウドソーシングを募ったりすることで問題の解決の糸口になるのではないかと考えます。あるいは、うまく経営できている動物園は、経営がうまくいっていない動物園を買収して、動物たちをもっとよい環境に移してあげることも一つの案かもしれません。


もう一つの理由として、動物園は子供の成長にもよい影響を及ぼすことが挙げられます。子供のうちに、自分とはなるべく異なるもの(人、動物、環境)と触れ合っておいたほうが、大人になったときに他人に対する受容度が高くなると思います。自分とある程度共通性がありつつも、違うメカニズムで行動する存在を覚えておくことは、単に自分と違うという理由で排除する大人にならない一助になるはずです。今やコンビニのアルバイトでも、日本人以外と働くことがある時代です。こういった多様な人材と一緒に働く時代こそ、自分と違う何かに触れ続けることが重要だと考えます。



<英語の構成>
結論  動物園は廃止されるべきではない
理由① 直接見なければ、その動物に対する愛護の気持ちも湧かない。
理由② 子供のうちに自分となるべく異なる存在と接することが多様性を受け入れる上で重要だ。
結論  動物園は集約しつつも存続されるべき。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
  I do not agree with the idea that zoos shall be closed for two reasons.

  First, the more opportunities people have to see unfamiliar animals, the more empathy they are toward those animals. Some people criticize that zoos are the places where rare animals are forced to live in abysmal conditions. However, without zoos, it would be obvious that people in Japan have never seen elephants. And people in Japan would take less actions to assist elephants without having the opportunity to see them. In this modern world when people can help each other through online and in a peer to peer way, the abysmal conditions can be solved through crowd sourcing and each zoo’s marketing effort.

  Secondly, it is important for children to interact with something different during their development. The more different entities we see in our childhood, the more generous we grow up to be. Having such  patient mind is much more important in the modern world, when people tend to work in a diversified team. Watching never-before-seen animals creates the opportunities for children to show respect to someone who seems different but has the same mechanism. Some may argue that both explicit and tacit knowledge children earn in zoos do not outvalue animals’ suffering in zoos in Japan. However, how zoos are suffering financially in Japan and how appalling circumstances animals has to live in must be the subject of another argument. My proposal is to merge with unprofitable zoos because profitable zoos must have a knack to attract guests.

  For those two reasons, I contend that zoos shall be kept while some of zoos shall be closed and animals there shall be moved to large and profitable zoos. 



<その他>
・空港のラウンジで週刊文春を読んでいたら、『ポレポレ英文読解プロセス50』の西先生のことが記事になっていました。初めて読んでから10年以上経過していますが、表紙が象の写真だったのが印象に残っています。もしかしたら、サブリミナル効果で動物園のテーマを選んでいたのかもしれません。
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2017年10月29日日曜日

実は人間はみんな利己的なのか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>





<きっかけ>
ずっと昔、私が困っているところを半年くらいに渡って、信じられないくらいの程度で助けてくれた人がいました。また、ずっと昔、頼んでもいないのに「これはあなたのためだから」と言って押し付けてくる人(たち)がいました。彼らの動機は何なんだろう、とずっと考えていました。一つの単純な解は、「それが自分のためにもなるから」だと思います。前者には、そう思いたくないという期待を、後者には、そうなんだろうなという諦念を、ずっと抱いてきました。ずっともやもやと考えていたことを、社会人として整理して考える習慣ができたことを活かして、英語でつらつらと書いてみたいと思います。



<日本語で考えたこと>
人のことを利己的と述べるとき、それは行為についてか、意思についてかの二つに分かれると思います。マトリクスを描いてみました。





行為については、行為を行った人に注目して、結果として自己利益に繋がるものと、自己犠牲となるものに分類しました。





意図については、自己判定なのか、他人が判断する他己判定の二つに分類しました。





行為に戻ると、まずは行為を行った人に注目して「自己利益」「自己犠牲」グループに分類しましたが、その行為を受けたの効用が増えたのか減ったのかで、それぞれ描きます。+は、プラスの効用になったことで、-は、マイナスの効用になったという意味です。






意図については、「自己判定」「他己判定」のそれぞれ利己的、利他的の2つに分類しました。






これで準備が整いました。


実は人間はみんな利己的だ」という言明を聞くとき、それは上の図でどのエリアを示しているでしょうか。 行為が自己犠牲を伴うものでありながら、実はそうではないということを示していると考え、下のブルーのエリアで考えてみました。






意図については、自分が利己的だと考えている場合は、「実は人間は利他的だった」という発見には繋がりませんから、「自分ー他人+ × 自己判定で利他的」(タイプA)と「自分ー他人+ × 他己判定で利他的」(タイプB)に分類されると思います。




タイプAについては、自分で意図する自己犠牲だと言えます。「お昼をレストランで食べたいけれど、熊本地震で困っている人を助けるために、この500円を募金しよう(ワタシってエライ)」 


タイプBについては、他人の判定で利他的と判断される崇高な行為です。よくは知りませんが、マザーテレサのインドでの活動はここに該当するのではないでしょうか。自分を超えた何かに突き動かされて他人を支援して、そこに人は感動するのだと思います。


一方で、こういった利他的な行動について、「一見すると利他的に見えるが、利己的だ」と指摘があります。これは心理的利己主義と呼ばれています。心理的利己主義の提唱者は、タイプAおよびタイプBのどちらに対しても、冷笑的な反応を示します。







心理的利己主義の最初の指摘は、利他的行為をした人が気づいているかどうかは問わず、実は損得勘定で利他的行為をしているのではないかというものです。短期的には自分の損になったとしても、長期的に自分に返ってくるからこそ、人は利他的に行動できるのだ、そう考えるのです。


心理的利己主義の二つ目の指摘は、一見すると利他的な行動で、しかも意図が崇高なものであったとしても、そういった利他的行為は単なる自己満足に過ぎないというものです。心理的利己主義によれば、利他的な行為は、むしろ他人を自分の幸せの道具にしており、しかもそのことに自覚的でない点で、たちが悪いと考えるのです。



なかなか魅力的に見える理論です。どうやら人は、なるべく少ない言葉で自分たちの性質を示す言葉(この場合、「結局のところ人は、みんな利己的なんだ」)を探しているように思います。また、ひとたびその理屈を受け入れると、その理屈から外れるような事象は見えなくなってしまったり、見てもすぐ忘れるか見なかったことにする傾向があります。


しかし、果たして本当に人はみんな利己的なのでしょうか。ごりらはそう思いません。心理的利己主義の二つの指摘をそれぞれ吟味してみましょう。


一つ目の「実は計算してる」という指摘についてですが、ごりらは打算であったかどうかまでは考える必要はないと考えます。そもそも、結果として他人の効用が高まる行為のことを、利他行動と呼ぶはずです。


心理的利己主義によれば、「川で溺れている子供を助けようと川に飛び込もうとした人は、後で警察から表彰されることを期待している(だから評価されるべきではない)」「自分のお金を貧しい人のために寄付した人は、後でみんなからちやほやされることを知っているからそうしたのだ(だから褒めるべきではない)」と指摘します。しかし、利他的行動とは、起点として「誰かを助ける行動」であったはずです。


川に飛び込んで子供を助けても、自分が溺れて死んでしまう可能性だってありますし、警察から表彰されないかもしれません。寄付をしても、誰もちやほやしてくれないかもしれませんし、むしろあとで家族から非難されるかもしれません。リスクに応じたリターンが分からずに、その人は献身的な行為を行ったのです。これを利他的行動と呼ばずに、何を利他的行動と呼ぶのでしょうか。


さらに、心理的利己主義の冷笑的な分析は、これから利他的行動を行おうとするほかの人に対しても「呪い」として機能します。「自分がこれから助けようとしている行為は、実は自分のためにやっていると思われないだろうか」「そのことに無自覚な自分は、実は嫌な奴なのではないだろうか」繊細な人ほどそのように考えるはずです。


声を大にして言いたいです、「誰かを助ける行動、助けようとする行動は、利他的行動である」と。その後何が起こったかは別として、相手の効用を高めようとする行為は、利他的行動です。


ただ、少し補足する必要があるかもしれません。例えばここに、リターンが大きそうなことだけに絞って利他的行動をしている人がいるとします。誰かに注目されそうなことは積極的に利他的に振る舞い、誰にも注目されそうにないことには何もしないような人のことです。この人が利他的な人かの判断は保留しておいて、少なくとも、その人が案件として取り扱った利他的な行動については、利他的な行動として評価してあげるべきだと思うのです。


二つ目の「実は自己満足」についてですが、これも利他的な定義を勘違いしていると思います。心理的利己主義の提唱者の考えを示すと、下記のとおりです。


①人は今、自分の一番やりたいことしかしない
②利他的に見える行動も、その人が今一番やりたいことをしているのだ
③一番やりたいことをしていることは、別に褒めることではない。
④利他的行動も、別に褒めることではない。


①から②へのつながりのおかしさは、以前書いてますね(→楽しくないことをするべき時はあるか)。人は、誰かにコミットしてしまったり、影響を考えて自分がやりたくないことも行うことがあるのです。

なぜ心理的利己主義者は、「①人は今、自分の一番やりたいことしかしない」という信念を持つようになってしまったのでしょうか。思うに、利他的な行動が、その行動を起こした人の満足を引き起こすことが、心理的利己主義の提唱者には気に入らないようです。ところで、利己的な行動あるいは意図とは、他人の幸福を考慮すべきときに、自分の幸福のことだけを考慮する行動あるいは意図のことでした。すると、川で溺れる子供を助けようと川に飛び込んだ斎藤さんは、他人を気遣う人だからこそ、つまり、自分の幸福のことだけを考える人ではないからこそ、川に飛び込んだのではないでしょうか。まとめると下記のとおりです。


■心理的利己主義の考え
①利己的な行為 = 自分が満足する行為すべて
②利他的な行為 = ない (「自分ー、他人+」の場面で、自分が満足しない行為?)


■ごりらの考え
①利己的な行為 = 周囲の人の幸福をまったく考慮しない行為(考慮すべき時に)
②利他的な行為 = 周囲の人の幸福の重きを、普段より(対自分、対他人)多く置いた行為


最初の論点とも重なりますが、他人の幸福を気遣って、自分の効用が失われることを気にせずに行動することを利他主義的行動と呼ばずに、一体何を利他主義的行動と呼ぶのでしょうか。少なくとも、誰かの行為を評価するときに利用するときは、①結果として助かった人がいる、②利他行動をした人が満足を得ることは問題ではない、という二点の理由から、心理的利己主義は採用すべきではないと考えるのです。




<英語の構成>
結論  利他的行動を評価するとき、意図は考慮するべきではない。
理由① 利他的な行動の結果に注目するべき。結果に注目すれば、支援の輪は広がる。
理由② 利他的な行動から幸せを感じることは決して利己的なことではない。
結論  心理的利己主義を行動の評価に使うのは誤っている。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
  Although some people insist that human nature is egoism in essence, I contend that appreciating altruistic behavior should be separated from how we interpret others’ behavior. There are two reasons for this.


  First of all, it is important for us to pay attention to consequences, not intention when we evaluate others’ behavior. The advocates of psychological egoism cynically laugh at altruistic behaviors assuming that the intention behind those behaviors is egoism. People who courageously help a drowning child may be driven they will be pampered by a plenty people later on. People who donate money to charity may be incentivized to be awarded later. The advocates of psychological egoism claim that the hidden intention behind altruistic behaviors should deteriorate the value of altruistic behaviors. Rather, they criticize people who behave altruistically for not being aware of their ignorance of their latent egoism. However, given that we cannot know the intention of others no matter how hard we make an effort, we should see only results.  We save someone and he or she is benefited from our assistance.  That must be enough to judge whether we are highly evaluated. 


  Secondly, the fact that altruistic behavior creates satisfaction with not only a recipient but also a donor does not completely mean that the donor is egoistic. The advocates of psychological egoism blame people doing altruistic behavior for pursuing their happiness after all. The advocates of psychological egoism would say that John is not to be praised because he is just a person who feels happiness to donate a part of his salary. They even would presume that John make use of others for his happiness.  However, given that the advocates of psychological egoism is based on the assumption that everyone does what he or she wants to do, this theory has so strong explanatory power that it does not prove anything. We sometimes implement what we do not want to do. Going to see a dentist and doing something we have committed earlier are the good examples. In addition, the statement that the person who do something beneficial to others and feel happy as a result are criticized for an egoist makes me develop a feeling of strangeness. Right from the start, an altruistic person must be the one who feels satisfied to make others happy. 



       For those two reasons, I strongly believe that psychological egoism should not be endorsed when we view people’s behavior. The world would be full of doubts and fears if psychological egoism was true. 



<その他>
・論点の組み立て方、議論のインプットは、ジェームズ・レイチェルズ著;古牧徳生、次田憲和訳(2003)『現実を見つめる道徳哲学』晃洋書房 (第五章 心理学的利己主義)を参考にしました。
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2017年10月22日日曜日

紙の本は残るか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>



<きっかけ>
最近、アマゾンのKINDLEを買いました。ごりらの部屋のスペースを多くの本が占めるのですが、持ち運びと保管のしやすさから、電子書籍の購入に踏み切りました。今もっている本も、BOOKSCANというサービスを使って、電子化を進めています。

KINDLEを使い始めて思うのは、「これほど便利なものはない」ということと、一方で、逆説的に「紙の本はなくならないだろうな」ということです。紙の本には紙の本のよさがあることを、KINDLEを通じて気がつきました。





<日本語で考えたこと>
紙の本のよさをそれぞれの段階(1.探索、2.購入、3.読む、4.読後)に分けて考えてみました。紙の本のよさは3つあると思います。


1つ目は、紙の本は偶然の出会いがあることです。誰もが、ふと本屋に立ち寄った際に気になった本を買ったことがあると思います。その本が、一生を変える本となることもあるはずです。ごりらは、星新一さんの本をたまたま本屋で見つけて、今でも愛読しています。もちろん、電子書籍では、「この本を買った人はこんな本も買っています」といったメッセージと共に、関連性の高い本の提案をもらえます。しかし、自分は今まで読んだこともないけれど、読んでみたらヒットしたという本にである可能性は限りなく低くなります。電子書籍では、自分の世界を飛び出す機会が狭まる、とも言い換えられます。


同じような経験は、紙の辞書にも言えると思います。電子辞書は確かに便利ですが、紙の辞書で、目的の単語の前後でたまたま見つけた単語が妙に印象に残って覚えてしまう・・・といった経験をした人は多いと思います。こういった、紛れが起きるのが、紙の本ならではないかと思います。



2つ目は、本と本を比べることと、同じ本の別のページを比べる機能が、紙の本では強いということです。海外の推理小説や、日本であれば森博嗣さんの小説では、冒頭に登場人物の一覧があります。これはユーザフレンドリーな工夫だと思います。特に外国の小説は、名前が覚えにくいため、こういった一覧があると助かります。紙の本だと、電子書籍よりもスムーズに登場人物一覧に戻ることができます。また本と本の比較も、電子書籍を一つしか持っていないと、ページを切り替えないといけないため、なかなか難しいです。



3つ目は、紙の本は、文章を単なるデジタル信号と捉えないことができることです。ごりらが10年以上前の英語の参考書をまだ保管しているのは、もちろんまだ英語の実務的に役に立つ部分があるということもありますが、読み返してみると当時の生活の状況や悩んでいたことを思い出すのに役立つからです。本は、単なる情報の集合体ではなく、思い出を呼び起こすツールとも考えられます。





まとめが下記です。













<英語の構成>
結論  紙の本は残る。少なくとも3つの点で強みがある。
場合① 紙の本の置いてある書店があるからこそ、本との偶然の出会いがある
場合② 紙の本は参照機能が早い
場合③ 紙の本は単なる情報だけでなく、その人の歴史を残す
結論  紙の本は残る


<英語でまとめ=スピーチ原稿>


  Although many people believe that paper books will be no longer in use, I contend that they will be still used at least in three ways. 

         First of all, paper books create an accidental meeting. When we are searching for books at a book store, we have chances to find interesting books which we have not expected before. When I was a junior high school student, my focus was on psychology. It was one of fun times that I went to a town library every Sunday morning to check out psychology books. One day I found an intriguing title in a philosophy category, next to a psychology category. I did not imagine at that time that this book would eventually lead me to a decision to major in philosophy in my university days.  If there had not been a library with paper books at that time, my life would not have been fruitful as it is now.

Secondly, paper books enable us to compare the pages in one book more easily. In a mystery novel, some of the authors give readers the summary of dramatis personae. Especially when I am reading a foreign mystery novel, I often struggle with remembering its dramatis personae. A summary of dramatis personae helps readers recall it and it is faster for readers to refer to it through paper books compared to digital books. It can be seen from this example that there still is an area where paper books outperform digital books.

Finally, paper books plays a trigger role for a reader to recall his or her past events. Paper books are not only a compilation of letters but also history of ourselves. The stain on each page or our writings pressure reminds us of the days when we used that book while digital books are not able to show those sorts of features. I still keep English textbooks used ten years ago in my bookshelf. Every time I open it, my writings remind me of hard but fulfilling days. This book is not only a database of knowledge but also an important asset filled with memory. I am afraid that digital English textbook will not assist me to recall the days when I am learning English.

To sum up, it is likely that paper books will remain to meet those expectations. If it were not for paper books, the world would be drearier than it is now. 



<その他>
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2017年10月15日日曜日

どんな組織に多様性は必要ないか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>
<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>



<きっかけ>
人材の多様性を意味するダイバーシティのブームが来ています。背景の一つは、外国人株主の割合が高まってきていることだと考えます。1990年は8%程度であった上場企業の外国人株主の割合は、2015年には30%を超えています(出典:財政総合政策研究所)。


外国人株主が求めるのは、経営の透明性です。彼らにとっては、ご褒美ポジションとして与えられる相談役や、生え抜き社員だけで構成され適切な緊張感のない取締役会は、壊すべき存在でしょう。経営の透明性を高めるためには、多様性な人材がいることが大事です。社内だけで通用するルールや阿吽の呼吸を理解しない外部の人間をあえて経営陣に入れることで、異質なメンバーとして、株主の利益を損なわないような抑止力として期待されているわけです。


取締役会をはじめとする経営幹部の多様性に加えて、もう一つの背景として挙げられるのは、人口不足を補う意味での多様性です。内閣府の見通しでは、日本の人口は2048年には1億人を割るとされています。このような環境では、さまざまな事情から今は活躍できていない女性が働きやすい環境を整えたり、定年を迎えたもののやる気も技術もある高齢者、日本で働きたい外国人を会社に受け入れる整備が必要となります。


以上の、取締役会レベルでのダイバーシティと、中間管理職レベル・担当者レベルのダイバーシティのブームが来ています。しかし一方で、必ずしもダイバーシティは必要ない組織もあるのではないかと思い、考えてみました。



<日本語で考えたこと>
どんな組織でダイバーシティが必要ないか書き出してみて、それらを分類してみたところ、3つに集約できました。


一つ目は、定型業務だけを行う組織です。工場のラインや、銀行の窓口では、定められた手順で効率的かつ正確に物事を行うことが重要です。どんな改善ができるかといった問題意識をもって作業を進めることは重要ですが、バックグラウンドの異なる新人に対して、既存のやり方を教えるたびに疑問を口にしたり、改善提案をされたら、仕事が進まなくなります。「とりあえず実績を出してみなさいよ。そのうえでなら話を聞いてあげる」と多くの先輩は思うはずです。


組織において、ある慣習ができるには、その時の背景にまで遡って考えなければならないため、定型業務を行う組織において、何も知らない外部から来た人間の思い付きは、多くの場合的外れです。このような組織は、その組織の人が冷たいというわけではなく、構造的に多様性のある人材を歓迎していません。


二つ目は、会社を立ち上げる時と、会社を畳むと決断した時の組織です。創業期では、商品の数も展開するエリアも限られているため、スピードがとにかく大事です。とにかくP/Lのトップラインを高めることで、社会との接点を増やすことができます。このような、管理すべき指標が少ないうちは、強いリーダーを周囲が素早くサポートする仕組みのほうが、経験的にもうまくいく気がします。同様に、会社を畳む際も、畳むと決定した以上は、斬新なアイディアやブレーキ役となるような意見は必要ありません。この例においても、組織の構造として、ダイバーシティは必要とされていません。


三つめは、外部環境に変化が乏しい場合です。急激な環境の変化に対応するため、多様な意見を取り入れる組織を作ることはあると思います。一方で、いままでのやり方でうまいくいっている環境や、法的規制で守られている環境において、異なる背景のメンバーを入れても、組織の効率性や生産性は、少なくとも短期的・中期的には落ちると思います。


出典は忘れてしまいましたが、統計的には、多様性のあるメンバーのいる組織の生産性は、同質性の強い組織と比べ、非常に高くなるか、非常に低くなるかのどちらかです。自分の組織が本当にダイバーシティが必要なのか、考えてから導入する必要があると思います。


本論には関係ありませんが、トップがダイバーシティを増やそうと旗振りを進めていても、そのダイバーシティの質とは何かについても確認しておくことは重要だと思います。一概に「多様性を入れたい」と言っても、どんな効果を期待してどんな多様性を求めているのかを、前もって考えておく必要があります。たとえ多様性が必要であっても、性別のダイバーシティなのか、国籍のダイバーシティなのか、年齢のダイバーシティなのか、それともキャリアのダイバーシティなのか、人によって考えていることは異なるからです。



<英語の構成>
結論:3つの場合において多様性は必要ない
場合①:定型業務を行う組織
場合②:創業期、撤退期の組織
場合③:外部環境の変化に乏しい組織
まとめ:自分の組織で本当に多様性が必要か考えるべき



<英語でまとめ=スピーチ原稿>

   Although diversity is important in many organization, I think there are three cases where an organization should have homogeneous members.

   First, an organization meant to handle routine work does not seem to need diversity. I would rather point out that the organization composed of homogeneous members perform more efficiently in this case. The production line in a factory is a good example. The more homogeneous its members are, the more efficiently the reporting line works as a result of everyone’s having the similar background and thoughts.

   Second, the firms in initial and final stages should not be hungry for diversity.  In the initial stage, what is necessary for an organization is speediness. The founding members are supposed to take a quick action to once the basic principle of a firm is designed. Officers who voice the question are not welcomed in this stage. When I was working in a developing country, our organization consists of management members from three countries. As a result, the slowness in decision making was found to be a weak point of our company within a changing environment. For the same reason, the firm does not need a diversity in the last stage of the company.  

   Third, parties facing little change in environment do not require heterogeneous members. If there is no threat of new entrants in a certain environment, it is hard to imagine that the firms inside this industry have to change its business custom. If there is no need to change, there is no need for heterogeneous members.

   In conclusion,  it is not always necessary for an organization to have diversified members especially in the case where they deal with routine work, when they are in initial and final stages, and when they are in stable environment. It is important for Japanese firms to ponder whether they should flow with the tide of diversity.



<その他>
・他のスピーチの素はこちら

2017年10月8日日曜日

裁判員制度の課題

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>
殺人事件の審理を裁判員制度で行う『12人の優しい日本人』の舞台版を久しぶりに観て、裁判員制度について考えてみました。



<日本語で考えたこと>
2009年5月から開始された裁判員制度では、今まで一人の専門家だけで決めていた判決を、国民を巻き込むことで冤罪の可能性を減らすことが期待されています。冤罪を減らすことは重要です。しかし、多くの国民を巻き込むことで得られる便益と、犠牲になる費用を考えたとき、現状、法的知識も乏しく、心理的・時間的な負担の覚悟が薄い一般国民を巻き込むことで得られる便益は多くないように見受けられます。また、今のところ多くの国民を巻き込むことに成功しているとは言えない状況です。


何かを決めることには、責任が伴います。責任には、なぜその決断をしたのかという理由の説明責任であったり、成功するまで続ける遂行責任であったり、うまくいかなかった場合、うまくいくようにする改善責任があります。


裁判員制度では、一般市民を裁判に絡ませることで裁判の公平性を高めることを目的としておりますが、ランダムに選ばれた裁判員に、決断に伴う責任を負わせるだけの準備はまだできていないと思います。


2013年には、福島県の女性が強盗殺人事件の裁判員になったことで、死体のグロテスクな写真を見ることとなりPTSDを発症してしまいました。2016年には、福岡県で行われた暴力団幹部の裁判で、組員が裁判員に対して「よろしく」「顔を覚えた」などと声をかけるといった事件が発生しました。


裁判員制度は、多数の意見を尊重する民主主義の仕組みと相性がよさそうですが、そもそも民主主義を成り立たせる前提も、国民全員が政治に対して勉強を続け、全員が参加することを前提としています。裁判員制度でも、(非難しているわけではなく)覚悟も専門知識もない一般市民が、専門家である裁判官に敵うはずはありません。このエリアについては、餅は餅屋、ではないかとごりらは思います。


国民の参加を促し、裁判官の恣意的な判断をモニタリングすることにより、結果として公平性を高めることを目的とした裁判員制度でしたが、辞退率が下がっていることも見逃せません。























※出典:NTTデータ経営研究所


半分以上の人が辞退しており、6年連続で辞退率が上昇していることがグラフから分かります。これでは、とても言いたいことがある人しか集まらないのではないかと危惧しています。裁判員制度のそもそもの目的は、一般的な感覚をもった、サイレントマジョリティを集めて意思決定に繋げたかったのではないでしょうか。



出席率も減少しています。




























※出典:同上


ただ、問題があるからといって、ごりらは止めてしまうべきとは思っていません。上記の福島県の例では、残酷な写真が出てくる場合は事前にアナウンスが出るようになってきましたし、暴力団員の件は、今後、途中で緊急辞退したり、裁判員ホットラインのような仕組みを作ることで回避できると思います。出席率や辞退率の低下問題については、いっそのこと、納税や教育と同じように強制にするといった対策が考えられます。




<英語の構成>
結論 → 理由①② → 結論



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
  In my opinion, the lay judge system in Japan is not completely beneficial for two reasons.

  First, lay judges are less ready to make judgment than professional judges are. In 2013, a female lay judge suffered PTSD as a result of seeing grim pictures of a victim.  It can be seen from this example that it is not a good idea share the special public role which requires people to take a firm resolution. Another example is that in 2016 a member of a crime syndicate threatened a lay judge outside a court to receive a favorable verdict.  Although laws are designed to protect people, it turned out that the lay judge system in Japan exposed people to a risk.

  Second, statistics show that the lay judge system in Japan does not function well. The percentage of declination of being a lay judge has been increasing for seven years in a row. In addition, the attendance ratio has been decreasing since 2009. It can be seen from these statistics that the demand that the lay judge system enhances the awareness of judges and fairness through monitoring the judges is less and less fulfilled.

  In conclusion, there is a room to improve the lay judge system in Japan for those two reasons. Without any change, the lay judge system would lose substance. 



<その他>
・組み立てについては、佐野雅子『英検1級 二次試験対策 2分間スピーチ』を参考にさせていただきました。
他のスピーチの素はこちら

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