2016年7月31日日曜日

2016年7月27日水曜日

2016年7月26日火曜日

7月26日

今日のインプット

■英語 15分
■財務・会計 1時間


英語は、音読。財務・会計は、事前課題。

2016年7月25日月曜日

7月25日

今日のインプット

■英語 15分
■財務・会計 1時間


英語は、音読。財務・会計は、問題集横串。

2016年7月24日日曜日

『MBA 定量分析と意思決定』

グロービス・マネジメント・インスティテュート編著;嶋田毅監修(2003)『MBA 定量分析と意思決定』ダイヤモンド社



<きっかけ>
・書店でぱらぱらとめくってみておもしろそうだった



<読む前に期待したこと>
・今から会社で導入すべきKPIを見つけ、経営層に提案する。
・興味のある業界で追いかけるべきKPIを見つけて、自分で追いかけてみる。
・自分で毎月計測しているKPIを増やす。



<実際に読んでみて>
・会社の比較の対象が、自社の過去しかないことに気がついた(pp23-25)。重要な項目については別の会社で比較の対象を持つことにする。


・都道府県別GDPは追いかけてみようと思った(pp160-161)。


・日本の基準だと、広告費の上位50社の売上高広告費比率の平均は、1.7%。トヨタは唯一1,000億円を超えているが、売上高広告費比率は1.2%にとどまる(pp111)。



<その他>
・定量分析が何の役に立つのかの記載があった。改めて考えてみると納得(pp5-6)。

①意思決定の質・スピードを高める
②コミュニケーションの質・スピードを高める
③メリハリやプライオリティを明確にする

・年平均成長率は、最初と最後の数値と、標本数がわかれば算出できる(pp48)。



<その他>
・第3部のケーススタディが参考になった。





今日のインプット

■財務・会計 15分
■英語 45分
■その他 1時間


財務・会計は、簿記1級の計画練り直し。英語は、音読。その他は、読書(拾い読みとまとめ作成)。


2016年7月23日土曜日

7月23日

今日のインプット

■財務・会計 2時間15分  
■その他 1時間45分
■英語 15分


財務・会計は、アカウンティング事前課題。その他は、読書(拾い読みとまとめ作成)。英語は、スピーチ練習。

2016年7月20日水曜日

『日本企業をグローバル勝者にする経営戦略の授業』

名和高司(2012)『日本企業をグローバル勝者にする経営戦略の授業』PHYP研究所


<きっかけ>
・先輩に紹介されて。


<読む前に期待したこと>
・著者の人となりを知り、直接会ったときの話のきっかけを知る。


・日本企業の東南アジア展開は、欧米企業の展開や他のアジアの国のアジア展開よりも、うまくいくのではないかと漠然と感じている。しかしグローバルで展開する日系企業に課題があるとすると、①現地従業員をゼネラリストとして育成する傾向にある点、②職務記述書をしっかり作りこまない点、③解雇したがらない点があると経験上感じている。他に何かないか知る。



<実際に読んでみて>
・日本企業の弱みについて、記載がありました(pp138)。

①マーケティング力
②事業モデル構築力
③経営レベルでの決断力

一つの解として、シマノという会社は徹底した分業で弱みを克服していると紹介されています。




<その他>
・ポーター教授によると、基本戦略には3つある(pp37-39)。

①コストリーダーシップ戦略
②差別化戦略
③市場集中戦略(ニッチ戦略)

ヤマダ電機やしまむらなど、コストリーダーシップ戦略をとる日本企業はすぐに思いつくが、差別化戦略をとる企業はあまり見つからない。海外では、ハーレーダビッドソンやフェラーリ、ルイ・ヴィトンやシャネルが差別化戦略として紹介されている。


ポーター教授の競争戦略の下図は、初めて見たが、うまくまとめてあると感心する。


















ユニクロは、スマートとリーンの両方を実現していると紹介されている(pp47-53)
スマートとは、顧客が感じる価値が高いこと、リーンとは、企業にとって低コストであることを意味するそうです。
























・著者が教えている大学では、和僑な国際人の育成を目指しているそうだ(pp178-179)

・30分で読めた





今日のインプット

■読書 40分


読書は、拾い読みとまとめ作成。


2016年7月16日土曜日

『会社の値段』

森生明(2014)『会社の値段』筑摩書房


<きっかけ>
・M&Aの本を探していたら、アマゾンからお勧めされた。


<読む前に期待したこと>
・企業価値の価格算定にあたって下記以外に考慮すべき点を知る

○会社の成長性
○割引率
○フリーキャッシュフロー

・もしネガティブな情報(反社会的集団との取引、不正会計)があった場合、どうやって買収価格に反映させるか知る。
・金融機関の企業価値の計算方法を知る
・企業買収において注意すべき点を知る。



<実際に読んでみて>
・買収における企業価値の算定において、企業同士の株式持合いの水増し効果により、実態よりも高い株価が維持されている可能性があるため注意する(LOC1662)。


・転換社債を発行している会社の場合は、現在のバランスシート状は負債であっても、株式に転換された場合、既存の株価が希薄化されることがあるので注意(LOC1698)。


・「もたもた調査していないで早く決めてくれ、値段は割り引くから」などと売り手が言ってくる場合は要注意(LOC2171)。



<その他>
・米国でITT(国際電話電信会社)王国を築いたハロルド・ジェニーンというプロ経営者が、M&Aを多用したらしい(LOC630)。彼の回想録である『プロフェッショナルマネージャー』を読んでみようと思った。

・「企業価値」の英訳に注意(LOC745)

社会全体の中で会社が果たす価値 = 企業総価値Enterprise Value
株主や投資家にとっての価値 = 株主価Shareholder Value


・経営に自信がある経営者は、51%の株式買取ではなく100%買収する(LOC1909)。売り手にとっても、プレミアムが高すぎてM&Aが破談になり、企業価値を高められない経営者の下で経営をすることになると、買い手、売り手、従業員の3社にとっても不幸せになってしまう。


・実は、企業価値の数字は後から出すもの、というのは驚きだった(LOC2089)。社長の直観を検証し、社内のメンバーや株主を説得し、相手との交渉の材料として使えるものにするのが、DCF方式の役どころとなる。それゆえ、「M&Aの価値算定は価額ではなくアートである」と言われる。


・米国におけるM&Aの攻防戦は、「株主価値を最も引き上げるのは誰か」「誰に経営を任せるのがより株主にとって利益があるか」という一貫した座標軸の上で展開される(LOC2342)。今は抵抗もあるだろうけど、日本も同じ路線になると思う。


・敵対的M&Aを仕掛けられた場合、第三者的中立者からなる企業価値評価特別委員会を設置して検討するスタイルは、米国の会社がほぼ採る手順である(LOC2370)。





今日のインプット

なし

2016年7月15日金曜日

(153) 人生は運命を追求する者にとっては、本当に寛大だと少年は思った。


人生は運命を追求する者にとっては、本当に寛大だと少年は思った。その時、少年は、ジプシーの女に約束した宝物の十分の一を渡すために、タリファに行かなくてはならないことを思い出した。「ジプシーは本当に頭がいい」と彼は思った。それはたぶん、彼らがよく旅をするせいだろう。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp199



宝物を手に入れた少年は、ジプシーとの約束を果たすため、新たな旅を始めることを決意します。最後の写真は、バスの車窓から。これで、スリランカ旅行の写真に『アルケミスト』の文章を添えるシリーズを終りにします。あえて重要な登場人物の一人の欄を省いてお送りしておりましたので、興味のある方は原典に当たっていただけばと思います。






今日のインプット

なし

2016年7月14日木曜日

(152)少年はほほ笑んだ。


少年はほほ笑んだ。そして掘り続けた。半時間後、彼のシャベルは何か固いものに突きあたった。一時間後、少年の前にスペイン金貨の入った大きな箱があった。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp198



ついにこの時がやってきました。






今日のインプット

なし

2016年7月13日水曜日

(151)「年老いた魔術師よ」


「年老いた魔術師よ」と少年は空に向かって叫んだ。「あなたは物語の全部を知っていたのですね。あなたが金の一部を修道院に残しておいてくださったおかげで、僕はこの教会に戻ってこれました。修道士は僕がぼろぼろになって戻った時、笑いました。そんなことを僕にさせなくてもよかったのではありませんか?」
「いいや」という声を、少年は風の中に聞いた。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp198



宝物の本当のありかを知った少年は、ピラミッドから引き返して、見捨てられた教会に戻ってきました。ピラミッドまで行ったからこそ、少年は宝物の場所を知ることができたのです。写真は、ホテルの屋上のプール。ちょっとわかりにくいですが、プールが屋上の少し高い場所にあり、プールの向こうが街みたいに見えます。




今日のインプット

なし


2016年7月12日火曜日

(150)夜のとばりがおりる頃、少年はその見捨てられた教会に着いた。


夜のとばりがおりる頃、少年はその見捨てられた教会に着いた。あのいちじくの木は今も祭壇に立っていた。そして星が半ば朽ちかけた屋根を通して見えた。少年は羊と一緒にここに来た時のことを憶えていた。あの日はとても平和な夜だった・・・・・・・夢のことを除いては。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp197



ピラミッドから帰路についた少年は、海を越え、物語の最初で眠っていた教会に戻ってきました。ここがエピロードの始まりです。





今日のインプット

なし

2016年7月11日月曜日

(149)少年はふらふらと立ち上がると、もう一度ピラミッドを見た。


少年はふらふらと立ち上がると、もう一度ピラミッドを見た。ピラミッドは、少年を笑っているようだった。少年は笑いかえした。彼の心は、喜びではち切れそうだった。
なぜなら、彼は今、宝物のありかを知ったからだった。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp196



少年は、正直に自分が宝物を探していることを男たちに告白します。話を聞いて、男たちはあきらめて少年を解放します。しかし、少し離れたところで、リーダー格の男が少年のもとに戻ってきます。リーダーは、少年に自分が見た夢の話を聞かせます。そのときになって少年は、宝物の本当の場所をを知るのです。





今日のインプット

なし

2016年7月10日日曜日

(148)太陽が昇り始めると、男たちは少年をなぐり始めた。


太陽が昇り始めると、男たちは少年をなぐり始めた。少年は傷つき、血を出し、服はぼろぼろに引きちぎられた。彼は自分の死が間近であることを感じた。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp195



少年がピラミッドに何かを隠していると勘違いした男たちは、少年に周辺の穴を掘らせるように命令します。しかし、何も見つからないことが分かると、男たちは少年を殴り始めます。助けてくれる錬金術師もいない今、少年は死を覚悟しました。





今日のインプット

なし




2016年7月9日土曜日

(147)「おれたちは部族戦争の難民だ。おれたちは金がいる」


「おれたちは部族戦争の難民だ。おれたちは金がいる」と別の人影が言った。「おまえはそこに何を隠しているのだ?」



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp195



ピラミッドで宝物を探す少年に、影が話しかけます。月の光の加減により、少年には彼らの顔が見えません。状況は緊迫してきました。





今日のインプット

なし


2016年7月8日金曜日

(146)一晩中、少年は自分が選んだ場所を掘ってみたが、何も見つけることができなかった。


一晩中、少年は自分が選んだ場所を掘ってみたが、何も見つけることができなかった。
ピラミッドが建てられてから何千年もの重さに、おし潰されそうな気がした。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp194



念願かなってピラミッドに着いた少年ですが、宝物が見つかりません。自分の心の声を信じ、前兆の導きに従ってここまで来た少年に、最後の試練が待ち構えていました。




今日のインプット

なし

2016年7月7日木曜日

(145)月は砂漠の静寂と、宝物を探す男の上を照らしていた。


月は砂漠の静寂と、宝物を探す男の上を照らしていた。
彼が砂丘の頂上に達した時、彼の心はおどり上がった。月の光と砂漠の輝きに照らされて、荘厳で堂々としたエジプトのピラミッドがそこに立っていた。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp193



ついに長い旅の末、少年はピラミッドに到着しました。満月に照らされたピラミッドは美しかったことでしょう。途中で何度も諦めかけたからこそ、喜びもひとしおでしょう。少年は声を上げて泣きました。





今日のインプット

なし

2016年7月4日月曜日

先生は生徒に評価されるべきか

英検スピーチの素です。


<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>



<日本語で考えたこと>
・小学校、中学校で先生と折り合いが悪かったごりら(→こちらとか、こちらとかで書きました)ですが、だからといって、生徒が先生を評価するべきであるという意見には同意しません。


第一に、先生を評価する基準が曖昧で、生徒には正しく評価できないことが挙げられます。我々が何かを評価するときには、基準がなければいけません。車を購入する際に我々が評価するのは、価格とか、エンジンの静かさとか、加速のスムーズさとか、エコな仕様とか、車内のゆったりした感じが、評価の対象になるはずです。しかし一方で、学校の先生は何によって評価されるべきでしょうか? 学校の先生は、塾の先生のように、科目を教えるのだけが使命ではありません。他の生徒との付き合い方を学ぶのは、将来いろんな人と一緒に仕事をする際の意思疎通の訓練の場になりますし、先生という役割を演じている大人とのやり取りを学ぶことで、自分より上の管理監督する立場の人とうまく仕事をしていく練習になるはずです。時には、先生は生徒にとって厳しいことを言わなければならないこともあると思います。長期的には、その生徒のためになることでも、短期的には生徒に恨まれることもあるはずです。そのような場合、生徒は先生の評価を低くしてしまいますが、その評価は子供にとって正しい評価ではありません。正しく評価することができない人に、評価させることは危険です。


第二に、義務教育の依頼人は、生徒ではないことが挙げられます。先生の授業料や学校の維持費は、国の税金から拠出されています。もちろん生徒のために教育はなされていますが、市場原理に従えば、お金の出し手の言うことを学校の先生は最優先は聞かなければなりません。


義務教育なんて、国の言う事を素直に聞く人間を養成する場だ。学校では、周りの人の目を気にする人間や、偉い人の言ったことを無条件に受け入れる人間を育成するための教育がなされている。けしからん」と考える人もいると思います。しかし、これは当然のことで、お金の出し手が、自分たちのシステムにとって都合のいいような人間を養成するのは道理です。反対に、「日本の集団主義的な考えが色濃い公立では学ばせたくない。自分の意見を間違っていても言える子を育てたい」と考える親御さんがいるかもしれません。その場合、お金の出し手である親御さんの考えに基づいた私立校とか、インターナショナルスクールで学ぶ機会が子供には与えられます。どちらの場合にしても、子供がどうしたいかは考慮されていません。お金を出す人が、子供をどんな大人になってほしいかを考えて学校を選んでいます。


生徒は先生を評価すべきではないと思いますが、一方で、かつては泣き寝入りだった、先生による生徒への暴力(傷害事件、といったほうが正確でしょう)や、先生が本来の仕事をしないこと(いじめをなかったことにするとか、生徒の質問にまじめに答えないとか)に対しては、厳しく監視の目を向けなければいけないと考えます。そのためには、生徒から教育委員会へのホットラインを作るとか、会社でいう監査役的なポジションの人を学校に1名配置して、先生の仕事の評価を行うことが重要だと思います。



<英語の構成>
結論 → 理由① 理由② → 譲歩して反論 → 結論



<英語でまとめ=スピーチ原稿>

I disagree with the idea that students come to evaluate teachers in compulsory education in Japan. I think there are two reasons for this.


First, students are not capable of evaluating teachers because they do not know the whole picture of their curriculum. When it comes to evaluating the quality of a car, we know what a good car is like : how high cost-performance ratio is , how smoothly its engine works, how ecologically-friendly it is, and how ritzy a car interior is. On the other hand, students do not always know what the goal of an education is. Communicating with other students through quarrel and reconciliation is a good lesson for students to be accustomed to working with others in a society. Keeping a good relationship with teachers while students do not have good impression toward teachers is a necessary step for everyone to go through in the early stage of the life. The problem is that students sometimes do not know what the important thing is in their curriculum. In this context, sometimes teachers must play a role to be hated by students. Then we need to keep in mind that low scores in evaluation by students does not always mean the low performance of the education toward students.


Secondly, it is important that the clients of compulsory education are not students, but tax payers in JapanMarket principles require us to keep in mind that sponsors always make important decision. Accordingly the tax payers in Japan have a right to design how the compulsory education is. It is true that sometimes Japanese compulsory education is criticized for its group mentality, which represents "A tall tree catches much wind". But this mentality is needed by most of Japanese company. If parents do not prefer the group mentality, letting their children enter a private school or an international school is another option for them. In any case, children do not have a right to choose what a good teacher is


You might think that children must endure all the struggles provided by teachers. In Japan, it was common that teachers used to beat students when students did not obey the instruction of the teachers and that children were forced to accept the negligence of teacher's intellectual duty at class. Introducing a hotline from students to an educational committee in a city or an auditor in a school can be a solution now. 


For those two reasons, students should not evaluate teachers in Japan. By adopting the hotline I mentioned, I believe the quality of the teachers in Japan  will be improved.





今日のインプット

なし

2016年7月3日日曜日

人生は何に例えられるか

英検スピーチの素です。


<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>




<日本語で考えたこと>

酔ったおっさんが言いそうなことで恐縮ですが、ゴルフは3つの点で人生に似ていると感じています。


一つ目は、一つの基準で他人と比べること「も」できることです。ゴルフのスコアによって、同伴するプレーヤーとの比較、同じ日にラウンドしたプレーヤーとの比較、過去の自分のスコアとの比較、別のコースでプレーしたスコアとの比較ができます。人生も、何かの基準で比較すること「も」できます。儒教文化では年齢が一番重要で、アメリカ式であれば、年収でしょうか。


ここが重要なのですが、あえて「も」と強調しているのは、自分の関心をその基準に合わせるかどうかは、自分次第ということです。ゴルフ場の小鳥のさえずりやコースの開放感、風の心地よさは、ゴルフの楽しみでもあります。スコアだけに注目することもできますが、それだけでは、スコアがうまくいかなかったときに楽しめません。人生も同じで、みんなが採用している尺度で他人と比べると、自分が一番にならない限りはつらいだけです。花や星の美しさに気づくだけで、人生は楽しくなります。


この、一つだけの基準と見せかけて、それ以外の楽しみに気づくとより楽しめるという二層構造になっているのが、ゴルフと人生が似ているところだとごりらは思います。


二つ目は、目標は自分次第ということです。ごりらの場合、全ホールをダブルボギーを目標にプレーしていますので、ボギーがとれたらすごいうれしいです。でも、ジャック・ニクラウスがボギーをだしたら、悔しいと思うでしょう。


外から見ている人にとっては、プレーしている人が何を目指しているのかは見えないことは、覚えておきたいところです。ごりらは自分がダブルボギー以内で回れるかどうかに挑戦して、いつも楽しんでいます。でも、イ・ボミからみたら退屈で愚かなことをしていると思うでしょう。また、ごりらがたまにパーで2ホール連続で終われば、周りの人は、上達したね、と言うこともあると思います。そのときに、期待に応えようと思って、自分の次のホールの目標をパーにしないことも、重要なことだと思っています。周りに流されず常に自分の目標と戦わないと、もし次のホールでパーが取れなかったとき、ゴルフは自分で楽しむものから、他人の期待に応えるものに代わってしまうと思います。それは、ごりらは嫌なのです。


人生も、同じではないかと思います。親や教師の期待に応えるために勉強して、いい高校・大学に入って、いい会社に入る。社会の仕組みがよくわかっていないうちは、彼らの言うことを聞くのは合理的なこともあると思います。また、経済的自立するまではスポンサーの言うことを聞かなければならないこともあると思います。が、どこかのタイミングで、誰かの期待に応えることを辞めて、自分で何がしたいのか考えて行動に移さない限り、自分の人生は、いつも誰かのためのものになってしまいます。


まとめると、他人に流されず、自分が常に目標を設定していないと面白くないというのは、ゴルフと人生の似ている点だと思います。


三つ目は、メンターーやパートナーを持とうと思えば持てる点です。ゴルフはプロクラスになればキャディーの選定も重要な戦術ですし、誰から学ぶかもスコアアップにとって重要です。素人でも、キャディーには何にも期待しないような人もいますし、コーチをつけずに自己流だけでプレーする人もいます。それは、個々人の自由だと思います。人生も、どんな先達から学ぶか(あるいは学ばないか)、どんなパートナーと組んで(あるいは組まないで)、何を期待するか(あるいは何も期待しないか)も、それぞれの人次第だと思います。


これで理由は列挙しました。どんな反論がありうるでしょうか。

①人生は1回限りで、ゴルフは何度もプレーできる
②人生の失敗とゴルフの失敗はダメージが違う


一つ一つみていきましょう。


①人生は1回限りで、ゴルフは何度もプレーできる
→大写しで見ればその通りですが、人生の中でも局面局面で何度も失敗しても挑戦できるため、この批判はゴルフは人生と似ているという命題の致命的な欠陥にはならないと思います。


②人生の失敗とゴルフの失敗はダメージが違う
→「人生の失敗」の方がダメージが大きく長期に渡るといいたいのでしょうが、一つ目の理由で書いた、人生とゴルフを一つだけの基準で比較していることから生じる誤解だと思います。いい学校に入って、いい会社に入って、取締役になることを一本のルートとするなら、このルートから逸れるのは失敗だと思います。しかし、既に述べたとおり、人生にも、ゴルフにも基準は複数あると気づくことが重要だと思います。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>

Life can be compared to playing golf for three reasons.


First, both golf and life can be measured by one standard. The performance of golf can be seen through the scores of 18 holes while that of life is measurable through the value added to the world. The value here can often be converted to how much this person earns in his or her life. The most important thing is that it is not always necessary for us to focus on the scores of golf and the wage in life. You can enjoy playing golf however poorly you play it. The twitter of birds makes you feel relaxed; the green filed lead you feel a sense of liberty; the pleasant breeze in a golf course helps you forget the noise of the city. It can be seen from the examples above that the scores are not all for the golf.  Also, it is true that the lives of people are often compared in terms of  how much do they earn. But I don’t think that’s all. The thing is whether you are aware or not. The beauty of flowers tells you the miracle of the world: the stars shine without expecting any compensation: only the existence of your family and friends are gifts. Although playing golf and life can be measured by one standard, you can find the pleasure in collateral issues in both cases.


Secondly, it is important for you to remember your own goal both when you play golf and when you live your life. The gallery and other players always evaluate your scores when you play golf in both a good and bad sense. Even when you do a good shot, their compliment is sometimes a nuisance to your swing of things. This is because no one expects you knows your golf:  your ideal shot, your goal in this course, and your amount of training. It is true that their perfunctory compliment leads you feel proud of your shot. But is it helpful in the long run? You would be a person who worries about what other people think. Your own will is essential to your golf to enjoy. I think this rule is applicable to life. Entering a good university or a big company is often regarded as a great triumph in life. You might be praised by a plenty of people for this. But if there is no will, it’s not helpful to your life.  In other words, if you do not have your own goal, the life is always the life of others, not yours.


Thirdly, both games have a partner and mentor if you want. It depends on you whether you hire a caddie and learn from a coach.  With or without this support, you can enjoy playing golf. Life has the same feature as golf has. It is up to you whether you follow the advice of someone in life. In both case, the accountability and the responsibility to improve belong to you.


You might think that golf can be played again and again as you like. But the life can be started again whenever you like. 


In conclusion, I think life can be condensed to playing golf. The more we enjoy playing golf, the more pleasure time we can spend on our life.




今日のインプット

なし

2016年7月2日土曜日

災害初期にメディアが報道すべきこと

英検スピーチの素です。今日は少し苦手な「役割系」の問いを考えます。


<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>


<日本語で考えたこと>
・2016年4月14日に発生した熊本大震災において、TVメディアのクルーの横暴が目立ちました。TV局の車がガソリンスタンドの列に割り込んだり、その行為を隠蔽するような発言がありました。また、撮影禁止と張り紙のされた避難所の前で中継をするTV局もありました。雨を避けている子供をどかして、中継をしている局もあり、批判されています。


・災害大国である日本においては、災害時において報道がどのようにあるべきかというのも、災害を経験するにつれて組織として学ぶべきことだと思います。今のメディアは、「これだけひどいことが起きてます!」という絵を取りにいきすぎのように思います。視聴率はそれで上がるのでしょうが、適切な行動を促すのに必要な情報を提供しているようには思えません。


・災害初期に視聴者ができることは、お金を出すことだと思います。次のステップは、(できるなら)ボランティアとして力を貸すことです。そのためにメディアがすべきことは、お金を出すのに必要な情報を提供することです。100の支援をした場合、経費を差し引いていくらが被災者に届くのかが、視聴者にとって重要な情報です。資金の使われ方効率が透明になればなるほど、しっかりした使い方をする団体に資金が集中し、より多くの寄付が被災者に集まります。


・次に、寄付金の額を、メディアで取りまとめて公表することが重要だと思います。今の寄付のあり方は、寄付をした方がタイミングによってはなぜか叩かれ、大口の寄付をする人が、寄付しづらい雰囲気になっています。一方で、一括で強制的に公表する機会があれば、変な気を使わずに寄付できますし、寄付のランキングがあれば、競争によってもっと多くの寄付が集まると思います。


・また、ボランティアの受け入れ時期と、ボランティアとして被災地に向かうときに、持って行くものも共有すべきと思います。2011年の東日本大震災では、ボランティアがコンビニの食材を買い占めて、被災者が購入できないことがありました。



<英語の構成>
結論、背景、提案①、提案②、提案③、まとめ、の順で書きます。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
In my opinion, the media in Japan should focus on encouraging audiences to support disaster victims both directly and indirectly instead of emphasizing how disastrous the victim area is.


The media is often criticized for behaving outrageously in Japan when the disaster occurs. Even when the huge earthquake in Kumamoto occurred in April 2016, one of the media was criticized for breaking into the line of a gas station, interviewing disaster victims in the area where the interview was prohibited and blowing off the disaster victims who were waiting for the rain to stop. It is important for the media to focus on the following three points instead of sharing a damage situation effusively.


First, how the donation is allocated efficiently by each party shall be shared and monitored by the media. The main concern of ordinary people is not how pity the disaster victims are, but how to support them. The media might say that their video showing the pitiful victims helps the audience take actions. But it is not necessary for the audience to see cruel and pitiful scenes. It is great contribution for the media to share how JPY 100 donation will be used for disaster victims. The more the media disclose how effectively the donation is used, the more transparent the supporting entity’s activity is. More transparent activity will realize the more donation to the disaster victims.


Second, reporting who donates the amount in descending  order is helpful to collect more donation through competition. Currently it depends on the media to report who and how donates. Disclosing the amount of donation in a transparent and common way will assist the disaster victims enjoy more support.


Finally, there is a room for improvement in the time to welcome volunteer. In March 2011 when a 100 year scale earthquake occurred in the east area in Japan, a lot of volunteer headed to Tohoku area while they did not have sufficient resources to live on. This caused the lack of food supply in the disaster area. The media should have informed the audiences when volunteers were allowed to go into the disaster area and what were the necessary items to bring.


The more the media learn to take actions for disaster victims, the more efficient support will be realized. 



<その他>
・ネイティブチェック受けてません。




今日のインプット

なし

2016年7月1日金曜日

(144)「夢に関する物語をおまえに話しておきたい」



「夢に関する物語をおまえに話しておきたい」と錬金術師が言った。
少年は馬を近づけた。

「古代ローマのティベリウス帝の時代に、二人の息子を持つ善良な男がいた。息子の一人は軍隊にいて、ローマ帝国の遠い地方に派遣されていた。もう一人の息子は詩人だった。美しい詩を書いては、ローマ中の人々を喜ばせていた。

ある夜、父親は夢を見た。天使が彼の前に現われて、二人の息子のうちの一人の言葉は、これから永遠に世界で学ばれ、くり返されるであろうと告げた。父親は夢から覚めると、ありがたくて泣いた。人生は寛大であり、どんな父親でも誇りに思うようなことを、知らされたからであった。

しばらくしてその父親は、戦車の車輪にひかれそうになった子供を助けようとして、死んでしまった。彼は一生、正しく公平に生きたので、まっすぐ天国に行った。そして、夢に出てきた天使に会った。

『あなたはいつもとても善良な方でした』と天使は彼に言った。『あなたは人生を愛に満ちて生き、尊敬のうちに死にました。ですから、私があなたの望みを何でもかなえてあげましょう』

『私にとって、人生はすばらしいものでした』と男は言った。『あなたが夢に現われた時、私の努力はすべて報われたと感じました。なぜなら、私の息子の詩が、将来何世代にもわたって読まれると知ったからです。私は自分のためには何もいりません。しかし、父親ならだれでも、自分が愛し教育した子供が得た名声を、誇りに思うことでしょう。遠い将来のいつか、私は息子の言葉を見たいと思います』

天使は男の肩に手を触れた。すると二人はずっと先の将来へ飛んで行った。彼らは広大な場所で、知らない言葉を話している何千人という人々に囲まれていた。

男は幸せで泣いた。

涙を流しながら、彼は天使に行った。『息子の詩は不滅だと、私は知っていました。息子のどの詩をこの人たちがくり返しているのか、教えてくれますか?』

天使は男に近よると、やさしく彼をそばのベンチに連れてゆき、そこに二人で腰をおろした。

『詩人だった息子さんの詩は、ローマではとても人気がありました』と天使は言った。『みんながそれを愛し、楽しんでいました。しかしティベリウスの治世が終わった時、彼の詩は忘れ去られてしまいました。あなたが今聞いている言葉は、軍隊にいた息子さんの言葉です』

男は驚いて天使を見た。

『あなたの息子は遠くで任務につき、百卒長になりました。彼は正しく善良な男でした。ある日の午後、彼の召使いの一人が病気になって死にそうになりました。あなたの息子は、病気をなおすことのできるラビの話を耳にしました。そして、何日も何日も馬に乗って、その男を捜しに出かけました。その途中で、自分が探している男は神の子だと、彼は知りました。また、その男にいやされた人々にも会いました。そして、その人々はあなたの息子に、その男の教えを伝えました。彼はローマの百卒長だったにもかかわらず、その教えに帰依しました。それから間もなく、彼は探している男がいる場所に着きました。

彼はその男に、自分の召使いの一人が重病であると言いました。するとそのラビは、今すぐ、彼と共に病人の家へ行こうとしました。しかし、百卒長は信仰の厚い男でした。ラビの目を見つめた時、彼はその男が確かに神の子であるとわかりました。

そして、あなたの息子はこう言いました。』と天使は男に言った。

『そのとき、あなたの息子がラビに向かって言ったのは、次のような言葉でした。そして、その言葉は決して忘れられることはありませんでした。<主よ、私の屋根の下にあなたにおいでいただくほど、私は価値のある者ではございません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の召使いはなおります>』

錬金術師は言った。「何をしていようとも、この地上の人は、世界の歴史の中で、中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らないのだ。」

少年はほほ笑んだ。それまで彼は、人生は何かという問題が羊飼いにとってそれほど大切なことだとは、想像したこともなかった。

「さようなら」と錬金術師が言った。
「さようなら」と少年が言った。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp188-192




小説は、時を経てもう一度読んでみると、違った思いを持つ。


20年以上前にこの本を初めて読んだとき、悩んでいたことがある。確か、社会の授業で、歴史を学び始めていたころだ。ごりらが愕然としたのは、歴史に名前を残している人って、これしかいないのか、ということだ。


歴史の教科書は、まるで日本には、卑弥呼や足利義満や徳川吉宗しかいなかったかのようだった。でも、彼ら彼女らの歴史には、常にその他大勢の民衆がいた。その人たちの人生って、1000年もたったら、なかったことになってる! ということに、本当に愕然とした。


歴史の教科書で、太字で残れる人になりたい――将来の子供たちは、自分の名前をマーカーで引いて試験前に覚えるようになったらいいな ―― 少年ごりらは、そのとき思った。そうでなければ、あまりにも悲しいではないか、1,000年も経てば、自分が生きていたことが、なかったことになっているなんて。


小説のシーンは、錬金術師と少年が分かれるところだ。錬金術師は、「何をしていようとも、この地上の人は、世界の歴史の中で、中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らないのだ。」と言う。この言葉に、当時はいくらか救われた。


大人になるにつれて、自分の限界が次第にわかってくる。自分よりも遥かに発想に優れた人間が世界にはたくさんいるし、ほかにも、自分より英語のできる人間だってアジアにだってごろごろいるし、短い時間で物事の本質にたどり着ける人間、体力のある人間、年上なのに髪の毛が残っている人間、運動神経のよい人間、お金持ちの人間、人から無条件で好かれる人間、・・・・・・どのような分野においても、自分が世界一である分野は何もないと、はっきりと言える。


「大人になる」とは、正しい自己評価ができるようになることだともいえる。正しい自己評価ができるようになったごりらは、自分が歴史の一人物になれる可能性がないことがわかり、次に、何を考えたか? 


当時夢中になって読んでいた池田晶子さんの本に気づかされたのは、言葉が普遍であるということだった。みんな自我をもっていて、ばらばらな意識を持っている。でも、共通の言葉をもっているから、相手の考えていることが分かる。ということは、普遍的な考えというものがもともとあって、そこから自我が分かれたのだ。


ずっと残る自分の言葉が残れば、というよりは、普遍的な言葉を見つけ出し、残すことができれば、永遠の中に自分は生きることができるのではないか。あるいは、自分の信念に基づいた行動で、他人に影響を与えられることができるのではないか。その影響が広範囲かつ持続的に続けば、自分は生き続けることができるとも言えるのではないか。


この文脈で、今までの人生で二つ嬉しかったことがある。一つは、自分が学生時代にしていた教育関係の仕事を、三人の生徒がそれぞれ別の形で引き継いでくれたことだ。二つ目は、自分の信念に基づいて間違っていることは間違っていると勇気を出して指摘したことを、途中で敗れて離脱した自分の代わりに、残された人が支持し、行動に移してくれたことだ。誰もが読めるブログで書けるのはこれが限界だが、人生でこんなに嬉しかったことはない。



閑話休題。この話は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」というマタイによる福音書の4章4節から来ているのだと思います。


写真は、人生で何千回もみた夕焼けの中でも、本当に美しい海沿いの夕焼けでした。この写真と、錬金術師と少年の別れを描いたこのシーン、そして自分のエピソードをオーバーラップしたくて、この本を選んだともいえます。






今日のインプット

なし



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